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いつかはイグルー、そして戦争の歴史(二つの収容所)

山中泊における憧れは『タープの下で焚き火、そしてゴロ寝』でした。
これは2019年に実現しました。

もう一つの憧れが『テントを持たずにイグルー泊』です。
イグルー作りは、昔、1回だけ挑戦したことがありますが、5人で2時間かけて作ったものの、結局テント泊でした。

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雪のブロックが小さすぎですよねぇ。

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翌日昼、イグルーの上に乗ってみました。最終的には5人乗っても壊れませんでした。

 

 

さて、イグルー泊といったら米山悟さん。
サイトを見て、その気だけは高めているのですが、なかなか実行に移せません。

2022.02.23の記事『日本で初めてのイグルー1940年・宮沢弘幸氏の命日は2/22』を読んでいると、日高山脈ペテガリ岳の冬季初登(1943年1月、北大山岳部)はイグルーを使って成し遂げられたこと、そこには当時北大にいたイタリア人フォスコ・マライーニ氏の影響が大きかった、とありました。
そして、そのマライーニ氏は、戦時中に名古屋郊外にあった外国人捕虜強制収容所に一家で抑留されていたとのことでした。
ネットで検索してみると、自分の知っている捕虜収容所(名古屋俘虜収容所第2分所 )には兵士軍人が収容されていたのに対し、マライーニ氏は敵国民間人抑留所に、枢軸国を離脱したイタリア人として抑留されていたそうです。
この抑留所は、松坂屋(名古屋の百貨店)の社員保養所「天白寮」(愛知郡天白村(現名古屋市天白区))を接収して愛知県に新設された抑留所だとのこと。
その後、空襲の激化に伴い抑留所は西加茂郡石野村(現豊田市)の廣済寺(広済寺)に疎開移転したとのことです。

まとめきれませんが、色々知らないことだらけでした。

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